最新の高性能農業機械(トラクター)とは

毎年のようそれぞれの農機具メーカーが競って新しい農業機械を発売している。今回は水稲栽培に欠かせないトラクターの最新型を紹介する。

それぞれ農家で今利用している農業機械、トラクターや田植え機・コンバインなどの課題を解決した新しい農業機械である。

今、コロナ禍の中で人手不足や農作業の効率化は農業経営の中で重要な課題である。この課題解決の一つとして、旧型農業機械を下取りや中古農業機械の買取業者に査定を依頼して、有利に売却して、それを購入金額の一部に充当して高性能農業機械に買い替えることである。また、疲労軽減や生産コストの低減にもつながりメリットも多くある。

最新の農業機械の状況を把握し、省力化や規模拡大に役立つ農業機械の導入を検討してほしい。

トラクター

トラクターで現状の課題は耕起作業する中でおなじ所を何回も耕起すること(いわゆる重複耕起)で作業時間が長くかかったり燃費が悪いなどが課題である。

GS機能がもたらす3つのメリット

今回これをトラクターの課題として開発したのが、クボタの直進アシスト(GS)である。トラクター作業で、直進精度を保つには熟練の技術を要し、また長時間作業になると心身ともに大きな負担である。GS機能(直進アシスト機能)を使えばラクにまっすぐな作業が行える。(クボタ農機より

疲労軽減 作業効率の向上 人手不足の解消
直進作業や長時間作業でのストレス軽減 作業機や作業状態を確認する余裕ができる 不慣れな方でも簡単に作業できる

直進アシスト機能

1工程目にマルチスイッチを押して始点A・終点Bを登録し、基準線を設定すれば、GS操作レバー(またはGS操作スイッチ)を「ON」にするだけ、基準線に対して平行走行を自動的に行います。この設定で、同じ所を重複して耕起作業を行うことはありません。

九州で有名な農業機械メーカー

九州の主な農業機械メーカーと特徴

ここでは、九州管内で国産の農業機械を中心に営業、販売、修理等を行っているメーカーを紹介します。

また、新品の農機具購入はもちろん行えますが、中古農業機械も各メーカー充実して販売しています。

中古農業機械は、農家から買い替えに伴い下取りした農機具や、農業を止めたので農業機械が不要になりメーカーが買取した農業機械等様々です。

しかし、中古農業機械も整備、点検をよくして販売しますので、是非、各メーカーHPを覗い下さい。

農業経営の中で農業機械に係るコストはとても高くなります。中古農業機械を上手く活用して、生産コストを抑える取り組みも必要です。

 

クボタやヤンマー、イセキ等が中心になります。それぞれご利用の農業機械の相談窓口にもなります。農業機械の修理やメンテナンス、購入や買い替えも各営業所で対応しますので参考にされてください。なお、営業所は、各メーカーのHPに紹介されています。

メーカー名及び住所 主な取扱い農業機械
★福岡九州クボタ(福岡県・佐賀県・長崎県)

本社:福岡市南区野間1丁目11番36号

電話:092-541-2031(代表)

・クボタ農業機械、建設機械、船舶及び付属品の販売並びにリース業務。

・自動車及び農業用車両の販売並びにリース業務。

・前各号製品の修理、整備、中古機の再販売及び自動車整備民間車検業務。

・その他農業用施設の設計施工他

★中九州クボタ(熊本県・大分県)

本社:熊本県菊池郡大津町引水789番1

電話:096-293-1345(代表)

・クボタ農業機械及び関連製品の販売、メンテナンス

知って安心♪農業機械の基礎知識提供

★南九州沖縄クボタ(鹿児島県・宮崎県・沖縄県)

本社:鹿児島県霧島市溝辺町崎森973-1

電話:0995-58-4373(代表)

・クボタ農業機械、農業関連資材商品、クリーン精米機、コインランドリー、軽四トラック等の販売及び整備、施設栽培(トマトの生産・出荷)
★ヤンマーアグリジャパン九州支社

本社:福岡県筑後市大字一条535番2

電話:0942-53-0333

・ヤンマー製品トラクター、コンバイン、田植機、耕運機、農業製品(その他)の販売及び修理他
★ヰセキ九州(九州全般)

本社:熊本県上益城郡益城町2550

電話:096-286-0303

・ヰセキ製品農業機械の販売及び修理、整備

・肥料、農薬の販売、コイン精米機、農業用施設、プラントの設計施工

★三菱農機販売九州支社(九州全般)

九州支社:佐賀県鳥栖市藤木町字若桜7-1

電話:0942-84-1888(代表)

・三菱製品トラクタ・耕うん機・管理機等整地機械、田植機・野菜移植機等栽培用機械、コンバイン・バインダ・ハーベスタ等収穫調整機械、その他販売、修理他

・育苗・米穀・花卉栽培・菌床栽培・低温処理等施設、各種ハウス等建築土木工事、 その他産業用機械の販売、修理他

 

 

機械の大型化や古くなり不用になった農機具の現状

昭和30年代から日本農業の機械化に向けた取り組みを手助けしてきた農機具は、急速に普及した一方で近年は不要になる農機具も増加している。

不用になる農機具の現状は、農業経営の規模拡大による大型農機具の買い替え・更新によって不要になった。

年式が古く耐用年数も過ぎて、修理部品の調達もできないでやむを得ず不用になった。高齢化で後継ぎがいない、農業経営主が病気になって農業をやめざるを得ないなの理由でまだ十分使える農機具なのに不用になった。など不用になる農機具の状況は様々である。

このようなことから農林水産省は1979年に、中古農機の有効活用と農機具への過剰投資を抑えるため中古機械促進事業法を定め、中古農機の市場形成を促進するための常設展示場または移動展示場に対し、設置費用の一部を補助する等の対策を行った。

その結果、全国に多くの中古農機常設展示場・移動展示場が開設され、一定の需要をみている。

一方、不用になった農機具の処分方法も様々である。規模拡大のため大型の農機具に更新する場合は、今使っている農機具は農機具販売店に下取りで引き取ってもらうのが主流となっている。部品調達ができず修理ができない、いわゆる壊れた農機具は廃品業者に引き取ってもらう処分方法が多い状況である。

高齢化などで農業をやめざるを得ないなどの理由で不用になった農業機械の処分方法は、この場合まだ十分使える農機具が不用となるケースが多いため農機具買取業者に買い取ってもらう処分方法がある。

なお、近年は農機具の買取業者も増えて処分の方法としては、農機具買取が主流になりつつある。また、農機具の高額買取も可能のため、農機具買取業者に査定の依頼をする農家も多い。

ただ、処分の方法がわからず農舎に放置してあったり、圃場に放置してあったりするケースも少なくない。不用になった農機具はいずれかの処分方法で適正な処分が必要である。また、活用できる部品なども有効活用してもらいたい。

なお、処分を依頼する方とすれば、最低でも無料で処分をしたい、まだ使用できる農機具はいくらかお金で買い取ってもらいたいと思うのが普通である。そんな農機具専門買取の業者が全国を対象に査定を行っているので利用するのも検討すべきである。

農作業の種類による農機具の分類

農作業の種類による農機具の分類

農業機械の部分を大きく分けると、原動機部分(エンジン部分)・伝導機(エンジン部分から回転力を取り出すところ)・作業機(耕転機など実際に土を耕したり、堆肥の散布などを行う機械)になる。

なお、トラクターのように原動機分と作業機が一体となっているものは、原動作業機とも呼ばれる。

主な作業の種類と機械の名称(ウィキペディア:農業機械を参照)

作業の種類 機械の名称
汎用的な農業機械 トラクター
耕転・整地に用いる農業機械 プラウ(すき)、ハロー(代掻き用の耕転機)、均平機、うね立機、溝切機など
施肥に用いる農業機械 マニュアスプッレッダー(堆肥散布機)、ライムソーワ―(石灰散布機)、プランタ(点播き機)など
播種・移植に用いる農業機械 田植機、野菜移植機、トランスプランタ(移植機)、散播き機など
防除・管理に用いる農業機械 噴霧器、動力噴霧器、ミスト機、散粉機、土壌消毒機、刈払い機、管理機、スピードスプレイヤー、動力ポンプ、スプリンクラーなど
収穫に用いる農業機械 バインダー、コンバイン、モアー、ヘイベーラー、ロールべーらー、脱穀機など
収穫物の乾燥と調整に用いる農業機械 乾燥機、籾摺り機、選別機、精米機、ディスクモア―、モアーコンディショナー、テッダー、レーキなど

作物に関連する、耕起から収穫、収穫後の調整に用いる主な農業機械である。なお、ここに紹介している以外にも多くあるので、ウィキペディア:農業機械を参照されたし。

 

稲作農業技術の変遷(収穫作業)

九州の稲作農業技術は、昭和30年代から急速に農業機械の開発が競って行われ各農家への普及が進み飛躍的に農作業の省力化・1戸当たり農業経営の規模拡大につながっていった。

稲作農業技術の耕運作業、田植作業が進むと当然収穫作業も併せて機械化の流れが急速に進んだ。

これは当然のことであり、耕運・田植え作業が省力化され規模拡大すれば収穫作業も必然的にその規模に見合う能力の作業ができなければ収穫ができないのである。

~昭和30年代

昭和30年代までは人による手刈りを行い、結束し掛け干しで自然乾燥を行い、脱穀して籾にして収穫が完了であった。

 

昭和40年~昭和初期

昭和40年~昭和初期にはバインダー(歩行型で稲を刈り取り束ねる機械)の機械化がすすみ刈り取り作業の省力化が図られた。掛け干しによる自然乾燥、脱穀はほとんど従来どおりの作業内容であった。

昭和50年代~

昭和50年代からは、さらに収穫作業機械が改良され乗用型コンバイン(稲を刈り取り脱穀する機械)の普及へと進んだ。このコンバインはすぐれもので、稲穂が立ったままの状態で刈り取り、脱穀作業までの作業を行うもので従来の二つの作業工程を同時に行うものである。

更に乗用型であり、操作する人は機械に乗り作業するものである。当時の農家は農業機械の進歩に驚くばかりであった。

ただコンバイン収穫作業は、稲穂が立ったままの状態で刈り取り、脱穀するので籾の水分含有量がとても高い。このため、収穫後は速やかに乾燥する必要がある。このことから、コンバインを導入する農家は併せて乾燥機の導入も行わなければならなかった。

コンバインでの稲の収穫作業は、現在も続いているが大型化したことや高性能の農業機械の普及と言うことで、脱穀作業中に収穫籾の水分計測できるようなコンバインも普及している。

稲作農業技術の変遷(田植編)

九州の稲作農業技術の耕運作業は、牛耕から耕運機、トラクターとえと機械化が進んでいった。

それに伴い、稲作農業技術の田植作業も人力から機械化へと進んでいった。昭和30年代までは、人による手植えで田植えを行っていた。これが昭和40年代になると歩行型の田植え機が開発され普及し始めた。

昭和60年代には、さらに田植え機の改良が進み乗用型の田植え機が普及し、現在に至っている。

~昭和30年代

昭和30年代までは、人力による農業が主流であった。田植えもその一つで、多くの人々(家族・親戚・隣人)で農繁期(稲の田植え・刈り取り作業など)に対応していた。親戚や隣人は結衣といい 田植えや屋根替え、味噌搗(みそつ)きなど、一時に多くの労働力を要する仕事をする際に、お互いに人手を貸し合うことが一般的であった。

水稲の手植え

 

昭和40年代~昭和50年代

昭和40年代からは農業技術が進歩し、歩行型の田植え機が普及した。田植え機を歩行しながら操作し田植えを行う機械である。

この機械を利用するには苗作りを変更する必要があった。手植え時代は、水田に畝を作りそれに籾を播いて育苗し苗作りを行っていた。

しかし、歩行型の田植え機を利用するには田植え機に合った苗作りを行う必要があった。現在も同じであるが、規格の決まった箱に籾を播いて苗作りを行うものである。(箱苗と言う。)

規格の決まった箱苗を田植え機にセットすると田植え機がそれを1株づつはさんで、植えていくものである。

この田植え機により、1日で田植えをする能率が飛躍的に向上した。ただ、この田植え機も、導入できる農家とできない農家の当時格差があった。

導入できない農家は、手植えによる田植えがしばらくは続いた。

 

昭和60年代~

昭和60年代になると、更に農業技術が進歩し田植え機も大型になり、歩行型から乗用型に変わっていった。近年は、省力化が進んで元肥も田植えと同時に施肥する田植え機で側条施肥機が付いた田植え機が主流である。

これは、肥料を田植えと同時に施肥するもので、従来は田植え前の本代掻き時に人力により施肥していた作業をしなくても良くなった。一つの作業がなくなるので水稲栽培の省力化である。

九州の水稲栽培も、農業技術の進歩により省力化が進み、経営規模の拡大による専業農家の増加にもつながっていった。

稲作農業技術の変遷(耕運作業編)

昭和30年代の九州農業は、稲作が主体でいも類や工芸作物(なたね、たばこ、茶、い草等)の比率が全国より高かった。いわゆる土地利用型農業で、作付けする面積を広くすることで農家経営の安定につなげていた時代である。

九州の稲作での農業機械の変遷は、昭和30年代前までは、牛を使い水田を耕していたいたが、昭和30年代に動力耕運機が普及、さらに40年代には、歩行型田植え機・バインダーが普及し、田植え・収穫作業の機械化が進展した。

昭和30年代 牛 耕

昭和30年代前の牛耕の様子だが、当時はほとんどの農家に一頭の牛が飼われていた。役牛として主に田・畑の耕起作業を行っていたが、中には山からのまき材の原料引き出し作業も行っていた。また、副産物として牛の糞尿も堆肥として活用されていた。

昭和30年~40年代 動力耕運機

昭和30年代は、動力耕運機が普及し飛躍的に農作業の省力化が図られた。しかし、当時動力耕運機を購入できる農家とできない農家の格差があった。経営規模や所得の格差である。経営規模の小さな農家は、小型の動力耕運機や中古の動力耕運機の購入から始まった。

昭和40年代~ 乗用型トラクター

昭和40年代は、乗用型のトラクターが普及しより農作業の省力が図られた。まず、トラクターの能力として動力耕運機より耕運していく速度が倍以上の速さと、耕運する機械部分の耕転機(ロータリー)の幅が動力耕運機より3倍以上ある。このため1日に作業を行う面積が数十倍可能となった。それに伴い水稲の経営規模も拡大し農家の経営も安定していった。